自己表現について

自己表現ってなんでしょうね?

ネットの海を泳げば、たくさんの人の考えや主義主張に出会います。

この記事を読んでいる誰かも、ネットを通じて私の言葉を読んでいるのでしょう。こんばんは。こちらは夜です。

「自らの考えを発信すること」「伝えること」について考える機会がありましたのでまとめておきます。

それはきっと、種を蒔くようなことで

私の蒔いた種はどこかで芽吹くのか。

どんな花が咲くのか。

それとも土に還るのか。

そんなことを想像しながら、文章を書いている時間が好きだと改めて思う。

これを読んでるあなたは、どこにいるのだろう?

コーヒーを片手に画面を眺めていますか?

お休みの日ですか?それとも、仕事の途中ですか?

外で陽の光を浴びていますか?突然の雨に打たれていますか?

どこかの誰かが私の種を持ち帰って、自分の庭に蒔いてくれたなら、とても嬉しい。

紫陽花は土によって花弁の色が変わるといいます。

あなたの庭に咲いた花は何色でしょう?あなたの気に入る色ならいいのですが。

伝えたくて書いていたり、そうでなかったり

抽象的な書き方をしてしまった。笑

要するに、私のブログに関して言うと文章の前には生活があります。

私が日々感じたことがベースになっているのです。

なので、最初から明確な「誰か」を想定して書いたりもしますが、ほとんどは見知らぬ「誰か」に向けています。

そんな誰かに、私の言葉が役にたったりするといいな。

むしろ役にたたなくても良くて。ただ私の考えが置いてあるだけで。

山道を少し外れたところにある湧水のように。

ふと見つけられたとき、喉が乾いていればご自由に飲んでください。といった感じ。

なんにせよ、無造作に積んである本の山みたいなものです。

むしゃくしゃしてたら檸檬でも置いてってください。

彩りになります。

結局よくわからない比喩になってしまったな。笑

そういえばなんで文章を選んだんだったか…

たぶん、唯一できそうなことに飛びついたんだと思います。

今考えると、とても失礼な話ですね。

字が書けることと、伝えることができるかは別のスキルが必要なのだとやっとわかってきた今日このごろ。

絵を描いたり、歌を歌ったり、写真を撮ったり、お話を紡いだり、、、

何だって良かったのに自分が決めた「上手」に満たないからと中途半端に手を出しては止めて。

日記みたいな文章を書くのがまだマシだと錯覚してた自分よ。我に返れ。笑

それでも長年続けていると楽しくなるのだから、人間面白いもので。

ブログ以外も細々といろいろ続けているけれど、表に出すことでもっと楽しくなるのだろう。

たまごが先でも鶏が先でもいい

親子丼にしたら美味しい。

伝えたいから書くのか。書くのが楽しいから伝えるのか。

目的と手段がごっちゃになると苦しかったりするけれど。

そもそも今それなりに「生きている」のだから、どっちが先でも良くて。

バランスを保って行ったり来たり。

まだまだ先は長いのだから気楽に続けようと思う。

つまり私にとっての「自己表現」は「生存確認」みたいなものだと思う。

「あ、ちゃんと心臓動いてるな」「ちゃんとトクトク聞こえるよね?」って。

とりとめもなく書いてるとやっぱり、よくわからん比喩が交じるな。笑

でも、何も考えずに書くのがやっぱり楽しいと思えたので、この記事は100点。

それでは〜